以前日米国民性の違い、口約束編を書いたんですけど(記事はこちらとこちら)、意外に苦情が来ずに、共感の意見が多かったです。日本人のお友達が多いからかな?今日はその第2弾で、アメリカの良いところを書きたいと思います。
プエルトリコにいる間にだんなが心理学の本を読んでいて、その本のAnger Managementのセクションがとてもよかったらしく、私にも教えてくれました。うちのだんなはAnger Managementが要る人じゃ全然ないんですけど。
自分がこうしたい、こうなればいいなー、またはこうならなければよいなーという会話を自分の中で行っていると、怒りが生じることは少ないのですが(英語だったら、I want -, I don't want -, I wish I could do -など)、自分はこうすべきだとか、自分はこうすべきではない (I should or shold not -, I am supposed to -, I am not supposed to -)という会話をすると怒りが生じると言う理論でした。
思えば私はアメリカにいる間は1番目の会話をしていることが多く、日本にいる間は2番目の会話をしていることが多いような気がします。周りの環境も私がこうしたいのと言うと、アメリカではそうなの、頑張ってみたいなポジティブは反応が多いのに反して、日本では私は宮崎みたいなとても保守的なところに住んでいたせいか、世間体だの、他の人はそうしないんじゃないだのネガティブな反応が多かった気がします。
そういうところが嫌で、数年日本を離れることが私には必要だったのかなーと、今は思っています。数年前は自分と周りに折り合いがつかなかったけど、今は帰ってもまあなんとかなるんじゃないかなとと楽観的に考えられるようになりました。日本みたいな恥の文化で成り立っている社会は、アメリカのような個人主義の社会とは違って、周りがどう思うかということがもっと重要性を持つんだと思います。アメリカでも自分のReputationとか割りと気にするんですけど、日本より自分の意思決定に深く関わってはこないと思います。
だんなとふとした旅先での会話で自分がぼんやり思っていたことが、言葉になってなんだかすっきりしました。One click, please.

プエルトリコにいる間にだんなが心理学の本を読んでいて、その本のAnger Managementのセクションがとてもよかったらしく、私にも教えてくれました。うちのだんなはAnger Managementが要る人じゃ全然ないんですけど。
自分がこうしたい、こうなればいいなー、またはこうならなければよいなーという会話を自分の中で行っていると、怒りが生じることは少ないのですが(英語だったら、I want -, I don't want -, I wish I could do -など)、自分はこうすべきだとか、自分はこうすべきではない (I should or shold not -, I am supposed to -, I am not supposed to -)という会話をすると怒りが生じると言う理論でした。
思えば私はアメリカにいる間は1番目の会話をしていることが多く、日本にいる間は2番目の会話をしていることが多いような気がします。周りの環境も私がこうしたいのと言うと、アメリカではそうなの、頑張ってみたいなポジティブは反応が多いのに反して、日本では私は宮崎みたいなとても保守的なところに住んでいたせいか、世間体だの、他の人はそうしないんじゃないだのネガティブな反応が多かった気がします。
そういうところが嫌で、数年日本を離れることが私には必要だったのかなーと、今は思っています。数年前は自分と周りに折り合いがつかなかったけど、今は帰ってもまあなんとかなるんじゃないかなとと楽観的に考えられるようになりました。日本みたいな恥の文化で成り立っている社会は、アメリカのような個人主義の社会とは違って、周りがどう思うかということがもっと重要性を持つんだと思います。アメリカでも自分のReputationとか割りと気にするんですけど、日本より自分の意思決定に深く関わってはこないと思います。
だんなとふとした旅先での会話で自分がぼんやり思っていたことが、言葉になってなんだかすっきりしました。One click, please.



